2024年に、日本で映画「オッペンハイマー」が公開されたことを記念して、原子爆弾の開発に成功したことで“原爆の父”と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーに敬意を表して描きました。オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を考えました。※以下、映画オッペンハイマーのネタバレを含みます。自分が開発した技術で沢山の人が死んだ事実、その影響で現在でも日本はアメリカの植民地のような実態です(法的、形式的には独立国)。それでも、当時はそうせざるを得なかった現実がありました。アメリカに核開発研究を進めるべきという文書に署名したアインシュタインも「他に解決策がなかった」と言っています。映画のなかで、原爆投下が成功して歓喜に湧き、オッペンハイマーに盛大な拍手を送る研究者やアメリカ国民のシーンがありました。なかには感極まって泣いている人もいました。キノコ雲をカラフルに描いているのは、そうようなアメリカ側の視点からの比喩的な表現になります。その一方で、オッペンハイマーは沢山の日本人を殺してしまったという罪悪感がありました。また、聡明な彼は、自分がアメリカ国民をはじめ世界中の人に対して、核によるリスクを高めてしまったことを理解していました。映画の最後は、オッペンハイマーとアインシュタインの会話で終わります。オッペンハイマー「私たちは連鎖反応が始まったら全世界を破壊するだろうと考えていた」
アインシュタイン「それがどうした」
オッペンハイマー「私たちはそれをしたと確信している」
核爆発の際、大気中で連鎖反応が起こり全世界を破壊する可能性は「ほぼゼロ」なのですが、この会話の意味は、オッペンハイマーらが原爆投下に成功したことで、世界で核開発競争が熾烈になり、ゆくゆくはそのような新兵器も開発されてしまうことを予期して言ったのだと思います。つまり、ここで言われた連鎖反応は、核爆発の際のことだけではなく、アメリカが新兵器を開発したら、ロシアはそれに勝る新兵器を開発する、、、この連鎖のことも含まれています。そして、映画の途中で、オッペンハイマーが個室で数人に厳しく尋問されている場面で、尋問している人たちが原爆の光に晒されるイメージになる場面がありますが、これは憎しみの連鎖を表していると思います。オッペンハイマーは、自分に対して厳しく尋問している人間に原爆を投下したいという感情が沸いた。そんなシーンだと思います。「やられたら、やり返す」というセリフはよく言われますが、憎しみの連鎖、競争の連鎖、核爆発の連鎖は共通して人間の本質を表しているようです。オッペンハイマーは、全世界を破壊する核爆発の連鎖反応はまだ起こってないにも関わらず、「私たちはそれ(連鎖反応ひいては世界の破壊)をしたと確信している」と言いました。彼は、連鎖が人間の本質に深く関わっているが故に、このベクトルは止めることが出来ない、行くところまで行く、と考えているのでしょう。オッペンハイマーの言葉を聞いたアインシュタインは、その意味を全て理解し、厳しい表情で立ち去って行きました。「私たちは世界を破壊したと確信している」を言い換えれば、「私たちが原因で、いつか必ず世界が破壊される」になります。