現代中国では、経済とテクノロジーの目まぐるしい発展により都市化が進み、以前には見られなかったような高層建築や高速道路が街の風景を一変させた。それでも今なお伝統的な「仮山石」が都市の中の庭園にたたずんでいる。仮山石とは、中国の庭園造形の歴史の中で用いられてきた特徴的な天然石を基とする造形のことであり、人々の自然回帰の願望をかなえるための手段と考えられている。仮山石に用いられた岩石の奇形と表面の凹凸は、その「形而上」(理念)世界の有機的な造形を象徴している。中国の伝統思想は、万物の存在を創造によってではなく、生成によって説明する。その生成の源を溯れば、無に至る。無から有が生じたのである。その無から最初に生じた存在が「気」であり、この「気」から万物が生成する。「気」の質料は万物を形成する素材であり、その運動は生成を行う力であり、その様態は生成されたものの本質を決定する。仮山石の造形思想は古代中国の老子と荘子による「気」の世界観と深く結びついている。気論を代表とした哲学の中心は自然の本質を形而下的にのみ探求しているのではなく、自然の本質とは何を為すべきかという形而上的なものと一体化したものを議論しているのである。一方、現代中国の「政治」特に「社会主義」は、西洋の二元対立的な考え方影響されている。例えば、「自然を制服する」、「人間と人間の対立」、「国と国の対立」など考え方がある。対立を強調しすぎて争いがしやすくなる。それは、西洋の二元対立的な考え方の癖だと考える。しかし、古代中国の老荘思想を受けた文人(知識人)たちは、考え方が全く違う。文人にとって、「自然」は自然科学のような自然を制服するという考え方ではなく、自から従うべきもので、「自然」と共に生きる生命体として「自然」に敬意を払うべきである。実は、私の父親、母親の若い頃までこのような社会主義の象徴服、人民服が流行っていたのである、父は共産党員であり、あの頃いつも人民服を着ていた。さらに、現在の小学生でもこのような社会主義の象徴としての赤いネクタイが使われている。そのため、その服は、社会主義の象徴服だと分かるように実物を再現するような描法で描いた。伝統と現代、現実と虚構をかき混ぜて試みた行為から発展したものである。従って、この作品は、老荘思想を受けた現代文人の精神と現実の矛盾性を試みた。
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